† 白風の旋律 † 前編

よく晴れたある日の午前中。
朝の礼拝を終えたシーンとネーノ、それと同じく朝の墓の見回りを終えたノーネは、
礼拝堂の南側にある花壇で作業をしていた。
その場所には、様々なハーブが植えられ、年中何かしがの収穫があり、
ここで取れたハーブは、料理に使うために厨房に卸したり、
教会にきた人たちに分けたりされている。
様々なハーブが所狭しと花を咲かせ、芳しい香りの漂うガーデンスペースの間の小径を、
三人は縫うように移動していた。
ちょうど、カモマイルの花の季節で、花壇は白い花で覆いつくされていた。
「司祭様、そこ段差があるノーネ」
ノーネが、シーンの腕を取り、誘導する。
シーンは、礼拝堂や、自分の部屋など、行き慣れた屋内ならば、
物が何処にあるか把握しているのでほとんど一人でも大丈夫だったが、
行ったことのない場所や、たとえ行った事があっても、
屋外ではやはり多少の危険が伴うため、ガイドが必要だった。
ここは、ほとんどシーンの専用庭のようなもので、危険は少なかったが、
片手にハーブの入った大きめのガーデニングボウル(両取っ手のついた
底の浅いバケツのようなもの)を抱えている為、ノーネがたまにこうして補佐していた。
「ありがとう」
微笑んで礼を言うシーンに、腕を取ったままノーネが聞く。
「これで終わりでしたノーネ?」
少し離れた場所にある、植え替え用のコンテナの前で作業をしていたネーノが
顔を上げ、少し考えてから言った。
「いや、後、北側のシェードガーデンがあるんじゃネーノ」
「そうですね、ノーネ、ついでにこのままそこまで連れて行ってもらえます?
 あと、その辺にある肥料も持ってきてくれますか?
 あ、ネーノ、こっちに来るとき土を持ってきてね」
「りょうかーい」
シーンの指示に、二人の声が綺麗に重なった。
シェードガーデンに行くには、礼拝堂のまわりをぐるっと移動することになる。
シーンと、肥料の入った袋を抱えたノーネは、他愛のない雑談をしながら歩いていった。

「……!」
「……、……」
建物の角を回ろうとしたとき、その向こうから誰かの声が、それも複数人分聞こえてきた。
「?」
「誰かいるノーネ」
シーンとノーネは、顔を見合わせ、首をかしげる。
「変ですね…この向こうにはあまり他の人には用事は無いと思うんですが」
この先は、シェードガーデンがあるだけだ。
礼拝堂と、迎賓館の建物にはさまれた、あまり人気のない場所であるため、
ここで他人に会った事は今までほとんど無かった。
「とりあえず行ってみるノーネ」
「そうですね」
不思議に思いながら、二人は角を曲がる。
その瞬間、はっきりと声が飛び込んできた。

「見ろよ、この女、胸でけーぞ」

「なっ?!」
思わずノーネは絶句する。
奥で、4人ほどの兵士が、一人の女性に群がっていた。
周囲に飛び散る血と、独特の雄の臭い。
何があったのかは一目瞭然だった。
女性は、体中に痣や、傷をつくり、ぐったりとしている。
シーンの手から、摘んだハーブの入ったブリキ製のガーデニングボウルが滑り落ち、
大きな音を立てた。
その音に、一斉にこちらを振り向く男たち。
「な…何やってるノーネ!」
音に、我に返ったようにノーネが叫ぶ。
「何って…ナニ?」
「いやいや、この女は魔女って噂があるんで、俺達確かめてるところなんですよ」
「本当に魔女かどうかを、ネ」
自分より格下の墓守と、盲目の司祭の二人だけと侮ったのか、
あるいは女性を陵辱して興奮しているのか、おそらくその両方だろう。
兵士たちは、逃げるどころかニヤニヤしながら応えた。
嬲られている女性は、このあたりの地方ではあまり見ない、
チョコレートのような褐色の肌をしていた。
普通の人と違う何かの特徴がある場合、魔女の疑いがかかることが多い。
そして、魔女の疑いがかかった者に対しては、しばしばこういった私刑(リンチ)が
密かに行なわれていた。
魔女に対してのこうした行為は、暴力や拷問とは見なされず、
むしろ悪魔と契約した許されざるものに対する神の罰として、推奨される節さえあった。
「『魔女は許すまじ』って、聖書にあるじゃないですか。
 オレ達はむしろ正義の代行者ですよ」
「何が正義だ!
 その人から離れるノーネ!」
男の科白にかっとしたノーネが男たちに向かう。
抱えていた肥料の袋を男に向かって投げる。
が、女性から離れた兵士の一人が素早く回りこんでそれを避けると、
ノーネにボディーブローを食らわせた。
「がっ!」
衝撃に一瞬息が止まりそうになる。
そのまま頭を押さえつけられ、地べたに擦りつけるように倒された。
「放すノーネ!」
ノーネはもがくが、何かの体術の押さえ技を使っているのか、
己の上の鍛えられた体はびくともしなかった。
「司祭様!」
押さえつけられながらも、ノーネは必死にシーンのほうを見ると、
彼は固まったかのように動きを止めていた。
顔が蒼白になり、手がかすかに震えている。
ノーネが逃げろ、と叫ぶより先に、一人の男がシーンを捕まえた。
シーンの服の胸元を掴み、壁に叩きつけるように突き飛ばす。
通常、目の見える人の場合、壁との距離を見て手を前に出し、
衝撃を吸収することができるのだが、シーンは為す術もなく、頭から壁にぶつかった。
ガン、と鈍い音がする。
シーンの額が割れ、血が壁に僅かに飛び散った。
シーンを突き飛ばした男は、そのまま壁に押さえ込むようにシーンの胸倉を鷲掴む。
「これはこれは司祭様、こんなところでお会いするとは」
ニヤニヤしながらシーンの顔を覗き込んだ。
「いつも思ってたんですけど、司祭様って本当綺麗ですよねえ」
「本当に男性か確かめてみたいな…
 そういえば悪魔って綺麗な顔で人間を惑わすんでしたっけ?」
他の男たちも下卑た笑いをしながら応える。
シーンを押さえている男が、空いているほうの手で懐からナイフを取り出した。
「…!」
シーンは、自分を押さえる男の手を外そうと必死にもがく。
シーンを押さえる男は舌打ちをすると、彼の胸倉を掴んだまま、シーンを壁に
思いっきり打ち付け、さらにとどめとばかりに腹に向かって膝を入れた。
シーンの顔が、痛みに歪み、動きが止まった隙に、
男はシーンの頭を鷲掴み直し、もう一度、今度は頭を壁に打ち付ける。
「やめっぐ…っ!」
「オッサンは黙ってろよ」
上から声が降ってくる。
叫ぼうとしたノーネは、上からさらに押さえつけられ、口いっぱいに砂を含んでしまった。

ナイフが、シーンの服を切り裂いた、その瞬間。


銃声が一発、響いた。


「そこまで、じゃネーノ。
 4人とも、両手を上に上げてこっちに来い」
ネーノが、角のところに立ち、銃を4人のほうに向けていた。
走ってきたのか、僅かに息が荒い。
男たちは、一瞬呆気にとられたようにネーノを見たが、すぐさま立ち直った。
「一人で俺達とやりあおうってか?」
女性の側に残っていた二人が離れ、懐から軍の支給品の拳銃を取り出した。
ネーノが目を僅かに細める。
「二対一だぜ、異端審問官殿?」
拳銃を構え、ネーノに向かって男の片方が勝ち誇ったように言った。
「いいや、二対三だな」
「こんなとこでナニやってるんだ、アアン?」
男の科白が終わるか終わらないかのうちに、ネーノの後ろから新たに二人現れた。
「ミスター・フーン!」
「ひっ…D中尉!」
拳銃を構えていた男たちが情けない悲鳴をあげる。
ネーノの背後から現れたのは、執事のフーンと、護衛軍士官のDだった。
特にDは彼らの上官に当たる。
先ほどの威勢は何処へやら、二人はくるり、と向きを変えると脱兎の如く逃げ出した。
シーンを押さえつけていた男も、ノーネの上に乗っかっていた男も同様である。
シーンは、ずるずると壁に凭れるようにその場にへたり込んだ。
「コラ待ちやがれ!」
Dが慌てて追いかけたが、4人はすでにもう何処にも見当たらなかった。
「…逃げ足だけは速いな…」
フーンが呟き、女性の具合を見ようと、側に跪く。
気を失っているものの、とりあえず命に別状はなさそうだった。
ぼろぼろに破かれてはいたが、彼女の着ている独特のエキゾチックな衣装に目が止まる。
「…ジプシーか?」
戻ってきたDも、女性を興味深げに見る。
「…の、ようだな」
フーンは、近くに落ちていた女性のものと思しきショールを彼女にかけてやった。
横目でシーン達のほうを見る。
「そっちは大丈夫か?」
シーンは、先ほど腹を殴られた衝撃の所為か、嘔吐していた。
ネーノはシーンの横にしゃがみ、彼の背中をさすってやりながらフーンに答えた。
「あんまり大丈夫じゃないんじゃネーノ?」
言って軽く肩をすくめる。
シーンが軽く咳き込み、裂かれた胸元…ナイフの切っ先が肌を掠めたのか、
服に血がにじんでいた…を片手で押さえる。
彼の顔からは血の気が引き、全身が大きく震えていた。
「シーン?」
「…ん…」
ネーノの呼びかけに、僅かにシーンが反応する。
Dが片眉を吊り上げた。
「そういえば墓守ヤローは何処だ?」
「水持って来るって言ってたんじゃネーノ…
 あ、戻ってきた」
ノーネが、水を入れた手桶をシーンに差し出そうと、シーンに駆け寄ってくる。
走る勢いで、手桶の水がシーンのすぐ前に、ぱしゃり、とこぼれた。
「しさ…」

「ごめんなさい!」

シーンは、とっさにノーネから自分を庇うように頭の上に腕を回し、
怯えたような、というよりむしろ、おそろしく悲痛な声で叫んだ。
ノーネの踏み出しかけた足がぴたり、と止まる。
フーンとDも、思わず息を呑む。
ネーノの動きも一瞬止まったが、彼はすぐにシーンに話し掛けた。
そっとシーンの頭の上に回された腕を外す。
ネーノの手が触れた瞬間、ぴくりと僅かにシーンが怯えた。
「シーン、大丈夫、
 シーンは悪くないんじゃネーノ」
言いながら、静かにジェスチャーでノーネに自分達の背後に回るように示す。
ノーネは頷くと踏み出した一歩分下がり、音をさせないようにそっとネーノの後ろに回った。
斜め後ろから差し出された手桶を、ネーノが受け取る。
「シーン、水…
 口を濯いだ方がいいんじゃネーノ」
ネーノは手桶からひしゃくで水をすくい、シーンの口元に持って行き、
ポケットから出したハンカチをぬらしてシーンの額の傷に当ててやった。
「シーン、立てるか?
 部屋に戻った方がいいんじゃネーノ」
その様子を見ながら、Dが首をかしげた。
「『ごめんなさい』ってナンのことだ?」
「…水をかけられるとでも思ったんじゃないのか…」
Dの疑問に対し、フーンが、ノーネのもってきた水で
女性の怪我を軽く清めてやりながら答えた。
ノーネは驚いたようにフーンを見る。
フーンが立ち上がりながら、Dに向かって言った。
「おい、この人を運んでくれ」
「ドコに?」
「迎賓館の、どこか空いてる部屋でいい。
 そこがここから一番近い」
フーンにいわれ、Dが女性を荷物のように肩に担ぎ上げる。
思わずフーンが苦笑した。
「一応女性だ、もっと優しく運んでやれ」
「一応不法侵入者だ、これ以上優しくできんナ」
しれっとDが答える。フーンはため息をついた。
ふらふらとおぼつかない足取りで歩くシーンを、ネーノが支えてやる。
その後ろに、女性を抱えたDが続いた。
「あの、執事様」
歩き出そうとしたフーンをノーネが後ろから呼び止める。
「なんだ?」
「さっきの…
 執事様は何でわかったノーネ?」
ノーネの科白に、フーンが軽く肩をすくめた。
「…いわゆるフラッシュバックってやつだな。
 昔虐待されていた人は、似たようなきっかけが有ると、その経験が戻ることがある。
 それで、とっさに体が動いたんだろう」
ノーネが軽く目を見張る。
「何でそれを知ってるノーネ?」
「司祭達が雇用されるときに、勝手ながら多少の身元調査をさせてもらった。
 そういう決まりになってるんだ、悪く思うな。
 安心しろ、俺が全部調べた、俺以外誰も知らない」
フーンがポケットから煙草を出し、火をつける。
いらいらしたときの彼の癖だ。
「ナア、執事殿」
Dが女性を軽く抱え直しながら、明日の天気を聞くのと同じ口調でフーンに話し掛ける。
「ワリィが、明日あたりにでも兵士の募集かけといてくれるか?」
「人数は?」
Dがにやり、と笑った。
「四人」


「起きたか?」
声をかけられ、がばりと勢いよく起き上がる女性。
「なっ…ここはどこ?
 あんた達は誰?
 あっ、あいつらはどうしたのっ?」
彼女は起き上がると同時に、きょろきょろと周囲を見回し、
ちょうど枕もとにいたネーノの胸元を引っつかむと、勢いよく捲し立てた。
「オイオイ、落ち着けよ。
 威勢のいいお嬢さんだナ。
 ネーノが困ってるじゃねーか。
 ヒャヒャヒャ」
胸元をつかまれ、困惑するネーノをDが笑う。
「えーっと…
 とりあえず手を離してほしいんじゃネーノ?」
「あ…
 ごめん」
いわれてぱっと手を放す。
「ここは城の迎賓館だ。
 俺はフーン、ここの執事をしている。
 こっちの兵士はD中尉、あんたが今胸倉引っつかんだのが異端審問官のネーノ。
 あんたを押し倒していたやつらは…まあ、あんたには関係無いさ」
そういって、フーンが笑うように唇の端を持ち上げる。
こういう表情をすると、この男はおそろしく酷薄そうに見える。
女性は、フーンを僅かに不信気に見やりながら、自己紹介した。
「あたしはガナー。
 あんた達が助けてくれたの?
 どうもありがとう
 …って異端審問官?!
 まさか、あたしを魔女として裁判にかけるつもり?」
ガナーがとっさにネーノから離れようと、ベットの上を後ずさる。
慌ててネーノは、落ち着かせるように両手を上に上げた。
「待った待った、
 それは話を聞いてから、俺が判断することじゃネーノ?
 とりあえず、何であそこにいたのか知りたいんじゃネーノ」
「知らないわよ!
 森の中歩いてたら、いきなり後ろからガツン、よ!
 気付いたらあそこだったわ」
つん、とそっぽを向くガナー。
Dが聞く。
「森ン中でナニしてた?」
「木の実とか、食べられそうなキノコ探してた」
ガナーがそっぽを向いたまま答える。
ガナーの言う森、とはおそらく城の敷地の東端から続く森のことだろう。
そこで、たまに兵士達が訓練をしていることもある。
森自体が城の敷地との境界線のようなもので、明確な境はない。
外から入ってきて奥に行き過ぎて、城の近くまできてしまい、
そこで見つかったのだろうとネーノは見当をつけた。
畳み掛けるようにフーンが聞いた。
「職業は?」
「…あたしはジプシー(放浪者)よ、
 まともな職業になんてつける訳無いじゃない。
 たまに町で踊って小銭を稼ぐか、
 せいぜい薬師の真似事をするくらい」
憮然とガナーが返す。
「なるほど、ジプシー、っと」
ガナーの科白をネーノが手元の紙に書き取っていく。
ガナーが不思議そうにネーノの手元を覗き込んだ。
「何書いてるの?」
それに答えず、ネーノが顔を上げずにガナーに聞き返す。
「名前…本名の綴りは?」
「…G、A、N、A、H、I、T、A」
「ガナーヒター?」
ネーノがさらに聞く。ガナーは頷いた。
「フーン」
ネーノが、手元の紙をフーンに渡す。
フーンは胸元から万年筆を取り出すと、さらさらとサインをした。
そのままガナーに手渡す。
首をかしげながら、ガナーが紙を受け取る。
紙を見た瞬間、ガナーの顔がこわばった。
「これ…王の紋章?!」
「身分証明書。職業欄は薬師にしておいた。
 それをもっている限り、この国では
 誰からも文句を言われないですむんじゃネーノ」
ガナーはネーノの顔を唖然と見る。
「…なんで?」
「うちの王子様たちは新しいもの好きでね。
 しょっちゅう他国からいろんな商人を呼び寄せる。
 それに交じっていろんな性質の悪いのが入って来るんだが、
 あんたはそうじゃないってことだ」
「いい薬を作るそうだナ。
 アンタが寝てる間に街で聞いてきたんだが、
 評判は概ね好意的だったゾ」
「多少気が強いのが玉に傷、という意見も有ったがな」
フーンとDが交互に答える。
「今日はもう遅い、明日帰れ」
「え?今何時?」
フーンの科白に、ガナーがはじかれたように窓を見る。
外は既に日が落ち、ほとんど夜に近かった。
「うわ、やだ、どうしよう!
 あっ!
 ねぇ、ちょっとぉ」
慌てるガナーにかまわず、座っていたネーノは立ち上がり、
三人はそのまま部屋を出て行ってしまった。
ぽつんとひとり残されたガナーは、呆然と呟いた。
「…ところで…御飯は…?」


「司祭様?」
静かにシーンが目を開けたのに気付き、ノーネがそっと声をかけた。
大きな声を出したり、不用意に触れたりすると怯えるから、とネーノに言われている。
シーンがゆっくり起き上がり、ノーネのほうを向いた。
「…ネーノは…?」
囁くような小さな声で聞くシーン。
「さっきまでここにいたけど、例の女性のほうの様子を見に行ったノーネ」
「彼女は大丈夫だった?」
「大丈夫なノーネ。
 司祭様こそ、大丈夫なノーネ?」
ノーネがベットの縁に腰掛けながら、気遣わしげに聞く。
シーンは、自分の胸元をぎゅっと掴むように押さえた。
ちょうど、普段シーンが首からかけている十字架のある位置であるが、
いまは外されているため、シーンの手は服を掴んでいた。
皺になるから、とそっとノーネはシーンの手を外してやる。
「今日の夕方の礼拝は休みにしてもらったから、
 ゆっくり休んだ方がいいノーネ」
「…ごめんなさい」
「しさ…とと、司祭様は何も悪くないノーネ、
 謝らなくていいノーネ」
思わず声を大きくしかけ、シーンがびくり、と震えたのを見て慌ててトーンを落とす。
「ここにずっといるから、安心するノーネ。
 もうすぐネーノも来るノーネ」
話し掛けながら、そっとシーンの肩を抱いてやる。
シーンは一瞬固くなったが、すぐにノーネに、幼い子供が親に甘えるような感じで、
肩に顔を擦りつけるようにもたれてきた。
その様子を見て、ノーネは自分がまだ幼かった頃、
弟と自分がお化けが怖いといって、母親に泣きついたときのことをふと思い出した。
あの時、母親は確か自分たちを抱きしめてくれて、それから。

   「 …ひとひおえて ねむるとき
     しゅよ わがみをしゅくしませ 」

そう、確か子守唄を唄ってくれた。

   「 みまえにきょうも はげみつつ
     あいのみむね まなびたり 」

必死におぼろげな記憶の中にある、母親が歌っていたメロディーを思い出す。

   「 われをさらず くらきよも
     まひるのごとく てらしませ 」

歌いながら、自分が母親にそうされたように、シーンの背中を軽くあやすように叩いてやる。

   「 みそばちかく ねむらしめ
     うきとおそれ しずめませ 」

シーンの身体から、力が抜けた。

   「 やがて あした きたりなば
     みなをあがめ すすみゆかん… 」

歌が終わったら、またもう一度最初から。
ゆっくりとしたメロディーを、何度もくり返す。
気付けば、シーンはノーネにもたれたまま寝ていた。
そっとベットに寝かせてやり、毛布をかける。
「…God is my shepherd (神は我が導きなり),
 Your sheen light on my way (汝の輝き、我が道を照らしませり) ;
 I'm walking with you (我汝と共に歩きませり)…」
いきなり後ろから聞こえた言葉に、吃驚してノーネが振り向くと、
いつの間に来たのか、入口にネーノが立っていた。
「いきなりびっくりしたノーネ…
 いつからそこに?」
「んー、大分前から…
 意外と歌上手いんじゃネーノ?」
ネーノが言う。ノーネは僅かに顔を赤らめた。
「誉めたって何もでないノーネ。
 さっきの言葉は?」
「祈りの言葉。
 シーンの名前、この言葉から取ったって言ってたんじゃネーノ。
 さっきの歌聞いてて、何となく思いだした」
ネーノの言葉には、主語がなかったが、ノーネはあえて聞かなかった。
替わりに、違うことを聞く。
「その花は何なノーネ?」
ネーノの手には、数本の純白の薔薇が握られていた。
ネーノが、その辺にあった水差しからコップに水を取り、薔薇を差す。
「殿下にシーンの具合が悪いから今日の礼拝はなしって言ったら
 お見舞いにって戴いたんじゃネーノ」
ことり、とシーンの枕もとに薔薇をいけたコップがおかれた。
一瞬、薔薇の柔らかな香りが広がる。
それを見ながら、ノーネはネーノに訊ねた。
「例の…男たち、どうなったノーネ?」
「ああ、D中尉が見つけ出した。
 やつらがどうなるかは…まあ、明日のお楽しみ、なんじゃネーノ」
しばらく、沈黙が落ちる。
「…前に、」
ぽつり、とネーノが口を開く。
ノーネが僅かにネーノを見た。
「前に言ったよな、シーンを支えてやりたいとか、そういうこと。
 あの時は言わなかったけど、
 あんたにシーンのこと話したのは、
 あんたならシーンの支えになれると思ったんだ。
 シーンは今だに他人が怖いんだ、本当は。
 そのくせ他人を疑わないから、始末が悪いっつーか」
言って、肩をすくめ、そっとシーンの額にかかる髪の毛を梳く。
シーンの額に張られた膏薬が、痛々しかった。
ノーネは、ただ無言でじっと聞いている。
ネーノが、ノーネを真っ直ぐ見た。
「シーンのこと理解してやれる奴が一人でも多い方が、
 避けられる痛みもあるかと思って」
ノーネは、静かに一つ、頷いた。

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