*この小説は、虐殺シーンが出て来ます。
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       +++ Silent Blue +++ 


そのモララーは、一匹のしぃを飼っていた。

高級マンションの最上階の一室。
銀に光る檻のなかで、一匹のしぃ族の少女が寝ていた。
美しい毛並みが、窓にかかるカーテンの隙間から入る月の光を浴びて、淡く桃色に光る。
彼女が寝ている檻には繊細な細工が施されており、
まるでアンティークの鳥篭のようにも見えた。
しかし檻とは名ばかりで、実はその扉には鍵がかかっていない。
いや、鍵はかかっている。アンティークのブロンズ製南京錠。
ところが、肝心の鍵はしぃがもっていた。
全く檻の役を果たしていないが、別にこれでかまわないのだ。
「ペットは檻の中に入れねばならない」という、飼い主の単なるこだわりに過ぎない。
檻の中には、ホワイトリネンの柔らかな布団や、クッションが敷き詰められている。
その真ん中で、彼女は丸くなっていた。
『外』につながる扉の方から、カチリ、
とわずかな音がしたのにつられたように、彼女が目覚める。
その瞳は、月光を集めたような真珠蒼にきらめいていた。
きぃ、とほんのわずかな音を立てて、重厚なオークのドアが開くのに気付き、
しぃは嬉しそうに自ら檻を開けて出てきた。
入ってきたモララーに、しぃが心底嬉しそうに飛びつく。
モララーも、優しい笑みを見せながら、自分の胸に飛び込んできた彼女を優しく抱き返した。

モララーが、この少女と出会ったのは、本当に偶然だった。
寒い冬の日、たまたま通りがかった道端で、虐殺されたのか、
肉隗に変わり果てたしぃの傍らで震えていた彼女を拾い上げた。
その頃はまだ、このしぃは言葉もしゃべれないような赤ん坊だった。
普段の彼なら、そのまま握りつぶしたかもしれない。
別に虐殺が趣味のわけではないのだが、こんな赤ん坊が、
母親の庇護もなしにこの冬を乗り切れるとは思えない。
例えもし、運良く乗り切ったとしても、被虐種であるしぃ族は、
遅かれ早かれ虐殺されてしまうだろう。
だったら、まだ、この世の何も分からぬ今の内に殺してしまって、
母親と一緒にあの世へ送ってしまったほうが、あらゆる意味で彼女の為だ。
しかし、このときのモララーは、全くどうかしていた。
そのまま己の手のひらでくるみ、彼女を自分の家につれて帰ったのだ。
冷え切った体を温め、ミルクを与えてやる。
一週間近くつきっきりで看病してやった結果、彼女はようやく元気を取り戻した。
静かに眠るしぃの寝息と、家の外のどこかから聞こえる、
例の甲高い声をあげながらうるさく鳴き喚くしぃたちの声を聞きながら、
モララーはある小さな思い付きをした。

(全く、最初はこんなに上手く育つもんだとは思わなかったな)
モララーは、膝の上にしぃを乗せ、その背中を優しく撫ぜながらそう考えた。
窓にかかっていた厚いカーテンは開けられ、
部屋の中を蒼白い月光が明るく照らし出している。
(同じ育てるなら、五月蝿く鳴き喚くしぃよりは、
静かで、大人しく、賢いしぃに育てようとは思ったが)
モララーの視線に気付いたのか、しぃがこちらを見上げる。
その大きな蒼い瞳を見返し、モララーは無言で僅かに微笑んだ。
しぃも、安心したようにまたモララーに体をゆだねる。
その様子をみて、モララーはことさら満足げに微笑んだ。
彼は、拾ったしぃを育てることに決めた。
そして、そのとき、幾つか、自分で自分の約束事を決めた。
一つ。しぃのことは、誰にも秘密にする。友人や、家族にも内緒だ。
一つ。しぃに触れるのものは、全て綿や絹などの天然素材であること。
金属製品は、表面が化学塗料などで塗装加工されていないものであること。
一つ。しぃの部屋の中には、電化製品を置かない、持ち込まないこと。
一つ。しぃの食事は、新鮮で、無農薬の野菜、果物を使ったものに限る。
動物性食品は、卵とミルクに限ること。化学調味料等は一切使わない…等。
そして、一番大切な約束事。
『しぃには、言葉を一切聞かせないこと』
しぃと接するときは、常に無言。
しぃの部屋には、電化製品を持ち込まないことに決めたから、テレビやラジオも無い。
部屋も、今までのところから、閑静な住宅街の中の、
防音設備の整った高級マンションの最上階に移った。
道路や、町から聞こえてくる雑音を排除する為だ。
文字すらしぃの目に触れぬように、注意深く排除した。
最初は、しぃにうっかり言葉をかけそうになったりもしたが、
そのうち、無言でもしぃの考えていることが分かるようになった。
しぃも、もちろん言葉を話さないが、この空間には二人だけなのだから、
難しい言葉はそもそも要らないのだ。
モララーが、思いついたように立ち上がり、キッチンへ歩いていく。
しぃは、大人しく彼が今まで座っていたソファーの上で、長いしっぽを揺らしながら待つ。
モララーが戻ってきたとき、その手には食事の入ったトレーがあった。
繊細な、白い磁器に青い絵付けがされた皿の中には野菜スープに、
蜂蜜をつけた白いパン。
チーズを載せたサラダからは、摘み立ての香草が馨る。
金のゴブレットの中には、極上の赤ワイン。但し、これはモララーの。
しぃには、同じようなゴブレットの中に、新鮮なミルクが入っている。
透き通る藍色のガラスのコンポート皿の上には瑞々しい果物。
テーブルの上に置き、キャンドルに火をともすと、モララーはしぃを手招く。
しぃは、呼ばれるままに椅子に座った。
モララーは、スープを銀の匙ですくい、しぃの口元にもって行く。
口をあけるしぃ。スープは適度に冷まされ、熱さに火傷をする、ということなどない。
パンを一口大にちぎって渡せば、それもしぃはぱくりと、小鳥の雛のように食べる。
こうやって、モララーが手ずから食べさせてやるのも、最初に決めた約束事の一つだった。
ゆったりとした食事が終わり、一息ついたところで、
モララーは部屋の隅から、バイオリンを持ち出した。
弦の張り具合を確かめ、弾きだす。
流れるような旋律の曲にあわせるように、しぃはしっぽを優雅に揺らしながら、微笑んだ。



「モラリーズ!」
「はい!?」
モララーが、己の本名を呼ばれたのにビックリして、
返事をしつつ振り替えると、友人のモナーだった。
「全く、何度呼んでも気付かないんだから。困るモナ」
「ゴメンゴメン。どうしたんだい?」
苦笑しつつ、友人に聞き返す。実は、気付いてはいた。
返事も、したつもりだった…
ところが夕べの名残か、どうやら無言で頷いただけだったようだ。
これでは気付いてないと思われても仕方ない。
しぃの暮らす部屋からでると、この地上が全く騒音に満ちあふれていることにうんざりする。
画一的な工業製品も味気ない。人工的な光に目がくらみそうになる。
モナーの話を聞きつつも、モララーの心を占めているのは、あの蒼い部屋だった。
モナーの話が一段落した所で、そういえば、と彼は話題を変えた。
「最近西地区の住宅街で、虐殺厨が出たそうだモナ」
彼の声のトーンが下がり、あたりを憚るように言う。
「虐殺厨?しぃが殺されるなんて、珍しくはないだろう?」
モナーの科白に、モララーが首を捻りながら答える。
それに、モナーは首を振った。
「しぃを殺すだけじゃ別に虐殺厨、何ていわれないモナ。
 しぃ以外の種族も、見境なしに殺してるらしいモナ…
 モララーは何処に住んでいたっけ?」
「…西地区」
モララーがうめくように答える。
しぃと暮らすマンションは、西地区の外れ、南地区に近いところにあるが、
彼女は、部屋から出さないから、大丈夫だろう、とモララーはほっとする。
「気を付けるモナよ」
モナーが言うのに、僅かにモララーが頷いた。

しかし、その夜。
閑静な住宅街に、悲鳴が響いた。
虐殺厨に、このモララーが襲われたのだ。
後ろから、ナイフのようなもので一刺し。
救急車がきたときは、まだ息があったのだが、病院での手当てもむなしく、彼は死亡した。
死亡したモララーの身辺整理のため、モナーは、彼の兄弟、
友人と共に住所録にあった彼のマンションへ行った。
彼は、生前誰も自分の家に招待しなかったら、行くのはこれが皆初めてだ。
「全く。こんないいところに住んでいたとはねえ」
「誰も近寄らせなかったそうじゃないか。
 隠し子でもいるんじゃないか?」
口々に噂しあいながら、ぞろぞろと連れ立ってエレベーターから降りる。
かちり、とドアを開けたところで、先頭に立っていたモナーに何かがぶつかった。
「わ?!何だモナ?」
思わず大声をあげるモナー。
それにビックリしたように、その塊が離れた。
しぃだ。
三日近く、モララーがかえって来なかった。
その間、食時は果物や、ミルクなどで何とか繋いだが、そろそろ限界だった。
何より、モララーがいないことで、精神的に参ってきていた。
そこへ、見知らぬ人たち。
いや、しぃがモナー達を、一体どう認識していたのかは分からない。
何しろ、今までモララー以外の人物を見かけたことがなかったのだから。
しかも、一人、二人ではない。
今まで聞いたこともないような音を上げる『何か達』にしぃは完全にパニックになっていた。
「しぃだモナ」
「まさか隠し子説、本当だったのか…?」
怯えたしぃは、檻の中に入り、クッションの間にもぐりこむ。
安心させようと、モナーがしぃに近づいて、
檻の前にしゃがみこんで視線を合わせると、優しく語り掛けた。
「怯えなくて良いモナ。僕らは、モララーの友人だモナ
 モララーは、ちょっと帰ってこられなくなっちゃったんだモナよ」
しかし、全くの逆効果で、しぃは小さくなって怯えるばかり。
言葉を教わってないのだから、モナーの言っていることなど、
これっぽっちも分かるはずが無い。
そもそも、『声』というものを知らないのだから、しぃにとっては、
この目の前のモノはまるっきり恐怖の対象でしかなかった。
やれやれ、というようにモナーが立ち上がった。
「このしぃ、どうするモナ?」
「保護施設に預けるしかないんじゃないか」
「ああ、どうやらその辺のアフォしぃとは違っておとなしいみたいだから、
 頼み込めばどっかで預かってくれるかもしれない」
しぃは、クッションの間で目を瞑ってただひたすら怯えていた。
早く、目の前で醜悪な音を撒き散らすこの物体達が消えて、
モララーが戻ってきて、いつものあの優しい笑顔を見せてくれないかと願いながら。



しぃは、児童保護施設に預けられることになった。
モナーが、しぃを出迎えた施設の職員の前に押し出す。
「このしぃですモナ。
 どうやら今までずっと一緒だったモララーがいなくなったのがショックらしくて、
 今まで一度も口を利いてくれないんですモナ」
「あら、じゃあ名前もわからないんですか?」
職員のレモナがビックリしたように聞き返す。
「そうなんです…どこかに名前が無いかとおもって探したんですが、
 何処にも書いて無くって」
それは当然である。モララーは名前をこのしぃに付けていなかったのだから。
二人しかいない空間。言葉のない世界。
名前など、必要なかった。
「じゃあ、まず名前を付けてあげなきゃね…」
「それじゃ、よろしくお願いします」
頭を下げ、モナーは立ち去った。
レモナがしぃの目線までしゃがみ、安心させるように軽く肩に手をかけて、話し掛ける。
「初めまして、しぃちゃん。あたしレモナっていうの。
 よろしくね。今日から貴方はここで暮らすのよ」
しかし、それに対するしぃの返事は、怯えたような表情だけだった。


ところが、預けられて数日もしないうちにこのしぃは、
アフォしぃなどとは比較にならないくらいの問題児だということが分かった。
まず、つけられた名前に反応しない。
職員達が頭をひねって、「しぃれーね」という名をつけたのだが、
どうやらそれを己の名と認識していないようだった。
『名前』というものの存在自体、しぃの認識の中になかったのだから、
それも当然なのだが、そんなこと彼らに分かるはずもない。
さらに、時間という概念も、どうやら分からないらしい。
まず、朝起きない。正午のお昼の時間になっても、食堂に現れない。
寝るときも、己の寝たいところで、寝たい時間に寝てしまう。
モララーと一緒だった頃は、モララーが帰ってくる夕方以降に起きて、
朝方寝る、という昼夜逆転の生活だったし、そもそも時計などというものがなかったから
起きたい時に起きて、お腹がすいたら食事の時間。
眠たくなったら寝る…それは檻の中だったり、ソファーの上だったり、
あるいは部屋の片隅にクッションを積み上げたそこだったりした。
さらに、食事も問題だった。
しぃ族は、基本的に雑食性だが、特に肉や、甘いものを好む。
ところが、このしぃは肉を一切食べない。
甘いものでも、デザートとして出されたケーキには見向きもしない。
そもそも、スプーンをもてなかった。
「ほら、しぃちゃん、スプーンをこうもって、ね」
職員の一人が、しぃの手に赤いプラスティックのスプーンを握らせる。
しかし、しぃはそこで食事を前にして、スプーンを握り締めたまま固まっているだけだった。
スプーンの使い方、というものが分かっていないらしい。
食事とスプーンを交互に見て、首をかしげるしぃ。
スプーンですくって、口元に持っていってやれば食べるのだが、
それもすぐに吐き出してしまった。チキンスープだったからだ。
長いこと肉を食べない生活を送っていたしぃは、体が肉を受け付けなくなっていた。
一番の問題は、言葉だった。
職員は、医者を呼んでしぃの体を調べたのだが、医者の見立てでは、特に異常はなし。
のどに異常があるわけでも、脳に異常がある訳でもない。聴覚も正常。
それなのに、こちらの言葉を全く認識せず、何も喋らない。
もちろん、文字も読めないから、筆談すら出来ない。
言葉をしゃべるためには、のどから発声出来ること、
耳が聞こえるということのほかにもう一つ、当然といえば当然だが、
言葉という概念を認識できる脳内の部位の神経が発達しなければいけないのだ。
しぃは、言葉をモララーから教えられなかった。
そのせいで、感覚神経に異常がなくても、脳内の言葉に関する部位のシナプスが
発達せず、他の喉から発声する機能を司る部位や、
耳で聞いた音を理解する部位とつながっていなかった。
これには、医者も匙を投げた。
「全く、こんな患者ははじめてです。
 通常ならね、耳が聞こえない障害を持つ人でも、
 言葉、というものの存在を知り、その認識くらいはできるんですよ。
 ところが、このしぃは言葉自体の認識が無いようです。
 亡くなった人を悪く言う訳ではないですが、
 一体、 この少女を育てたというモララーは、どんな育て方をしたんでしょうね」


結局。
このしぃは、『アフォしぃ以下』ということで、保護施設から追放されることになった。
最初のにこやかな笑顔は何処へやら、憎憎しげにレモナがしぃを裏口から突き飛ばした。
地面に無様に倒れこむしぃに、レモナが唾をはきかける。
「結局しぃは、何処までいってもしぃなのね。
 手間ばかりかかって、しょうがない。
 何処へなりとも消えて頂戴」
ばたん、と荒々しく閉められるドア。
しぃは、それを地面に倒れこんだままぼんやりと見送った。
己に起こったことが分かっていないらしい。
だが、とりあえず自分がこの息の詰まりそうな狭い場所から出されたことは分かった。
狭い、と言っても別にこの施設自体が狭いわけではない。
のびのびと、自由に育てられたしぃには、施設の分刻みのスケジュールや、
不恰好で、騒音を撒き散らす電化製品、ちくちくする化学繊維に、まずい食事など、
ここの全てがまさしく己を縛り付ける檻だったのだ。
第一、暗くなっても浩々とつけられる蛍光灯が、眩しくてしょうがない。
モララーといっしょだったときは、昼間は睡眠時間。
厚いカーテンに閉ざされ、日光はほとんど入ってこないから、
明かりといえば、夜の蒼い月や星の光。
せいぜい、キャンドルのゆらゆら揺れる小さな炎くらいだった。
とりあえず起き上がり、しぃは町に向かって歩き出した。
当てがあったわけではない。
ただ、自分の飼い主のモララーを探そうと、それだけだった。
モララーに会えば、きっと彼は自分を優しく抱きしめ、
そしていつものあの笑顔で微笑んでくれる。
野菜たっぷりの美味しい食事を、銀の匙ですくって食べさせてくれる。
大きな月を見ながら、青いタイル張りの広いジャグジーで一緒にゆったりと湯につかる。
星の光をスポットライトに、モララーのバイオリン演奏を聞きながら、
白い柔らかなクッションの上で眠る。
モララーに会えば、またあの蒼い部屋に戻れる。
しぃは、ひたすら歩きつづけた。



細い月が空に青白い切れ込みを入れる夜。
一人のしぃが、人通りの少ない道をふらふらと歩いていたのを、
とあるモララーが見つけた。彼の手には、バイオリンケースが提げられていた。
しぃのほうも、こちらに気付いた様で、立ち止まった。
モララーは、こっそりほくそえんだ。
(こりゃあ、いい獲物を見つけたぞ)
このモララーが、実は最近町を騒がせている『虐殺厨』だった。
しぃの飼い主のモララーも殺したのも彼。
最近は、自分が殺しまくっていることが世間に知れ渡ってしまい、
夜は誰も外出し無いし、昼でも一人で行動する人は少ない。
被虐種たちも、自衛の為か、いつにない大集団で行動する。
被虐種が何人集まろうが、このモララーにとっては何の問題もないが、
それでも10人20人と集団でこられては、やはり少し、困ってしまう。
だから、最近少し彼は鬱憤がたまっていた。
そんな折、このしぃを見かけたのだ。
彼女は一人。体はぼろぼろで、足元はふらふら。
しかし、虐殺するには余計な抵抗が少なくて、丁度いいかもしれない。
(さぁて、このしぃはどんな悲鳴を聞かせてくれるかな…?)
断末魔の悲鳴が聞きたくて、虐殺をしているようなものだ。
怯えた表情も、見るからにぞくぞくする。
わくわくしながら、彼はしぃに声をかけた。
「やあ、お嬢さん。
 何処へ行くんだい?是非、僕にお供させてくれYO」
ところが、このしぃは、どうしたことか、例の甲高い声で
「ダッコ !」とも、「カワイイ シィチャンニ ナンノヨウ ?」とも、ましてや
「ギャクサツチュウヨ ! ハニャーン !!」とも言わなかった。
ただ、こちらをその真珠蒼の瞳で戸惑ったように見つめ返す。
その瞳の、妙な静かさに気おされながら、モララーは言葉を継いだ。
「何だYO…黙っている気か?よおし、いい度胸だ!
 いつまで黙っていられるか、やってみな!」
声をかけて、黙っていたしぃ、と言うのは今までに何人かいた。
それでも、一つ刺せば、すぐ甲高い悲鳴をあげたものだ。
モララーは、バイオリンケースを地面に置くと、素早く近づき、しぃの顔を左手で捕まえた。
流石に少ししぃは暴れたが、それでもその口からは何も発声されなかった。
「ふん…こしゃくな」
右手で、しぃの片耳を掴む。
彼はそのまま、力任せに引きちぎり始めた。
みり、めち、という音がして、耳が取れていく。
しぃは、本格的に暴れ始めたものの、やはり何も言わなかった。
もともと体力を消耗しきった、フラフラのしぃが暴れたところで、
たいした抵抗になるわけではなく、モララーはあっさりと耳を引きちぎってしまった。
「フーン、まだ黙っているのかYO」
しぃのちぎれた耳をポイ、と捨て、うつ伏せに地面に押さえ込む。
逃れようと、しぃは必死にもがいたが、モララーに上に乗りかかられ、
腰を彼の膝で押さえつけられてはどうにもならない。
しぃの頭を、地べたに擦りつけるように片手で押さえつけ、右腕を逆に固める。
「ほらほら、止めて欲しければ叫べYO、泣けYO、喚けYO!」
しかし、しぃはただ逃れようとするだけで、叫びも、泣きも、喚きもしなかった。
ムッとしたモララーは、固めた右腕をさらに捻りあげる。
ぱき、ぽき、と関節からいやな音がし始めた。
「早く言わないと、右腕折れちゃうYO〜?」
ついに、いやな音を立てて、しぃの肘の関節が砕けた。
大きく喘ぐようにしぃが口を開けたが、それだけだった。
いつまでたっても何も言わないしぃに、些かむっとしつつ
さらにモララーは右腕を捻り上げる。
今度は、限界まで捻り伸ばされた皮膚が裂け始めた。
「オラ、叫びやがれ!
 コノ ギャクサツチュウ ! ってYO!」
しぃの上腕の皮膚が裂け、その下の筋肉が断裂する。
ひときわ大きなブチン、という音がした。骨と筋肉を繋いでいる腱が切れたらしい。
醜く裂けた皮膚から、血がどんどん流れ出す。
あふれる血に、パニックになったらしいしぃの抵抗が強くなったが、
モララーは気にせずさらに押さえつける手に力をこめ、一気に腕を引きちぎった。
肩口から皮膚が裂け、無残にぼろぼろになった赤い筋肉の間から白い骨が見える。
僅かな喘鳴が聞こえるだけで、しぃの声は、やはり聞こえなかった。
「はっ…たいした糞虫だYO
 ご褒美に、血を止めてやるYO」
右腕を放り投げると、モララーは、ポケットから取り出したライターで、
しぃの腕を引きちぎった断面に火をつけた。
肉のこげる臭い。
断面が十分に黒こげになったところで、モララーはライターをしまった。
やはり、このしぃは逃れようともがくだけで、全く声を出さなかった。
「チッ…面白くなくなってきたな」
些か拍子抜けしたモララーは、しぃの上から退く。
ついでに飛び散ったしぃの血で汚れた手を、背中になすりつけて拭いた。
しぃは、ようやく体から無くなった負荷に、必死で立ち上がり、逃げようとした。
しかし、立ち上がろうとしたとき、モララーがそれより早く、
腰の後ろに付けていた大型のジャックナイフでしぃの左足を地面に縫いとめた。
「おおっと…今更逃げんなYO」
しぃは、足に深く突き刺さったナイフを抜こうとしたが、
モララーが上から、ハンドルを足で押さえつけた。
さらに深く突き刺さるナイフ。
激痛に、しぃの顔が歪む。
「最後通告だ…
 てめぇは、糞虫にしてはよくやったから、
 『偉大なる神、AAの王、モララー様、どうかお許しください』って泣いて頼めば
 このまま見逃してやってもいいぜ」
モララーが、バイオリンケース…いや、バイオリンケースを模したマシンガンケースから
マシンガンを取り出し左手にもって、しぃの正面に回りながら言った。
しぃの正面に来たところで、一体どんな顔をしてるものか、とニヤニヤしながらしゃがみこむ。
ひたすら無言を貫いた己の失態を悔いているだろうか。
それとも、自分に対して、怨みをもって睨んでくるだろうか。
殺される恐怖に、怯えているだろうか。
いや、ただ激痛に耐えているだけかもしれない。
しかし、そのどれだとしても、モララーにとっては素晴らしく官能的だ。
「どうだ?ん?」
モララーは期待ににこにこしながら、俯いているしぃの顎を取り、自分の方を向かせた。


しぃは、激痛に耐えながら、必死に己の飼い主であったモララーのことを考えていた。
自分を、常に優しく抱きしめてくれた温かい腕や、
いつでも穏やかに微笑む、彼の黒い瞳を思い描いていた。
最初、彼に出会ったときバイオリンケースを持っていた。 しぃは、それが自分の飼い主がたまに取り出して、
美しい音色を奏でてくれるモノが入っている箱と同じものだと気付いたから、
もしかしたら自分の飼い主のモララーかもしれない、と思ったのだ。
しかし、違った。
この目の前の人も、自分の探していたモララーでは無かった。
耳障りな、妙な音を立てながら、己に向かってきたあの『何か』と同じだった。
しかも、この『何か』は自分に対し、よく分からないが、とにかく恐ろしいことをしてきた。
彼女を育てたモララーが、しぃが痛みや苦しみといった負の感情を抱かない様、
注意深くそれらから遠ざけてきた所為で、しぃは、これが『痛い』ことだということも、
『苦しい』ことだとも分からず、相手に対して、恨みや、
憎しみといった感情が湧いていなかった。
ただ、彼は好ましい存在ではないということが分かっただけだった。
自分に起こっていることの何も分からないが、とにかくこの『何か』から逃れようと、
しかしそれも押さえつけられている所為で叶わず、
ひたすら目を開き、大きく喘ぐだけしかできなかった。
どれくらい耐えていただろうか。
急に、全身が軽くなった。
この好機を逃すまいと、しぃは立ち上がろうとしたが、
すぐに足が動かなくなり、地面にまた倒れこんだ。
上に乗っかっていた『何か』はいなくなったが、代わりに足に鋭いモノが刺さっていた。
それを抜こうとしたが、どうしても手が届かない。
あきらめて、正面を向いたところで、両頬が濡れていることに気付いた。
さっきは左頬しか濡れていなかったのに!
しかも、頭の上の、熱くなっているところから、
ぬるぬるする暖かい赤い水が流れてくるのは相変らずだが、
今はなんと自分の目から、こちらは透明な暖かい水がこぼれている。
つまりは泣いていていたわけだが、このしぃは泣いた事も無かったので、
何故目から水があふれてくるのか、不思議でしょうがなかった。
もしかしたら、どこか悪いのかもしれない。
目から出る水を止めようと、しぃがとりあえず目をぎゅっと閉じてみたとき、
顎に手がかかった。
しぃが目を開け、目の前に焦点が合ったとき、
そこに見えたものはにっこりと優しく微笑むモララーの顔だった。
自分の一番あいたかった顔が、そこにあった。

 やっと会えた!

しぃの胸が、喜びでいっぱいになった。

 もう、離れたくない!

彼女は、左腕を必死に延ばし、顎を掴むモララーの手を握った。


モララーが顎に手をかけ、しぃを無理矢理上向かせる。
しぃは、流れる血と涙で、視界がぼやけているのか、必死に目を凝らしているようだった。
モララーは、楽しくてしょうがない、といわんばかりににっこりと笑った。
そのとき。
しぃは、何かに気付いたように、はっとした表情になり。
無事な左腕で、自分の顎を掴むモララーの手を掴んだ。
モララーは、もしや最後の命乞いか、それとも恨み言を言うかと、
わくわくしながらしぃの蒼い瞳を覗きこんだ。
しかし、しぃのした表情は、そのどれでもなかった。
モララーと視線を合わせたしぃは、この状況下ではまるきりそぐわない、
幸せそうな、まるで花のような笑顔で微笑んだ。
全く邪心のないその笑顔に、モララーの背中に何ともいえぬ戦慄が走った。
しぃの顎から手を外し、ついでに頬を一発殴る。
「何だYO…なんなんだ、貴様は!」
云いようの無い感情のままに、モララーはマシンガンの安全装置を外し、
数歩下がって距離を取ると、しぃに向かって弾をひたすら撃ち込んだ。
弾を体中に撃ち込まれても、変わらず無言のしぃに対し、
モララーは自分でも良く分からない叫び声を上げていた。
マシンガンの弾が切れるまで、ひたすらしぃに向かって打ち続けるモララー。
路地に、轟音が響く。



そして、静寂。



立ち込める砂煙がようやく収まったとき、そこに残されていたのは、
無数の銃痕と、地面にへばりつくように散らばる赤黒い肉隗だけだった。
          <Fin>


書いているとき頭の中をよぎったモノ
・星新一のショートショート(むしろこれのオマージュ)
・観用少女
・ペットショップオブホラーズ(なんでだろ)
・恋月姫の人形
・スナーク狩り(ルイス・キャロルの方…不条理ストーリー、という点で)
ちなみにモララーがバイオリンで弾いた曲は何となく『月光』のイメージ
ホントはピアノ曲だけどさ…



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