もさっと日記

2003年10月17日の日記

寛容とは
某所で、「寛容とは何か」ということをいっているサイトを見つけました。
ちょっと同人風味の強いサイトなので、ここでの紹介は控えますが。

そこのサイトの、とあるSSの中に出ていたんですが、曰く
「”寛容”とは、自分と全く違う価値観をもつ存在と、
 常に共存していこうとする”お互いの覚悟”の事である」

当然、通常”寛容”を辞書でひけば「他人の考えをよく受け止め、
受け入れる心の広さ」のような意味が出てくると思いますし、
当然それは「寛容」の意味ですが、辞書の意味だけでは、
ある意味、多者あるいは強者が弱者にかけるお情け、
同情のようなものが含まれてはしないか。
ただ、相手を受け入れるだけでは少し物足り無い、
そこからお互いに相手と共に在る、という覚悟が無いと、
本当の「寛容」とは言いがたいのではないか。

このお互いに、というところが曲者で、自分ひとり「寛容だ」と
言っているだけでは、相手から見ればそれはただの同情心、
哀れみに過ぎないかもしれない。
あるいは逆に、卑屈な言い訳と取られるかも知れない。
お互いに相手を赦し合い、認め合い、共に在ろうとする覚悟があって、
それで初めて「寛容」という単語が使えるのではないだろうか。

聖書に、「人を裁くな。人を裁いたその天秤で、あなたもまた裁かれている」
「我々は、赦すことによって赦され、愛することによって愛される」
という二つの文が出て来ます。
これもある意味、「寛容とは何か」を示した文だと思います。
自分と違う価値観を持つ人と一緒にいることは、非常に困難です。
何しろ、話が合わないから、まず疲れる。
こちらの言うことと相手の考えてることが合致してないと、
お互いに一つ一つ説明しなければならないので、時間もかかる。
それでもなお、相手と一緒にいたいと望むこと。
相手の存在に対して、敬意を払うこと。
相手と、自分とは違う存在であるということを認めること。

私は基本的に楽天家なので、めったなことでは腹を立てたりしないのですが、
それは多分「寛容」とは違う。多分ただの事なかれ主義。

…はたしてそんな覚悟は、自分に本当にあるんだろうか。
2003年10月17日(fri)   No.117 (その他)

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2003年10月17日(fri)
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